
ミカン農家のご主人
”労働も大変だったけど,共産主義の教育が大変だった”
共産主義に同調し無いと,日本へ帰らせてもらえない…
教育は帰国の船の中でも続いたらしい…
ロスキーの見方をする日本人が密告して日本の本土を見ながら,船に残されて
又、シベリアに連れていかれたらしい…
"本当に、気の毒だった”と
最後に彼がロスキーに味方したものは本土には上陸できなかったと
誇らしく,言っていた…
"如何して!"と聞くと・・・"ウ~ン,みんな海に落ちた”と一言…
なんだか,少し救われた気がしたのを思い出す…
やっと実家に帰ったら,やはり赤旗が届いていたと…
日本人が敗戦した後で大勢が殺されたことを日本共産党はすべて知っていたのでは?
後味が悪い話し…
ーおわりー










